自分と会話する法といっても、誰かのおしゃべりが聞こえてくるわけではありません。自分に質問をひとつひとつして、そのひとつひとつに「はい」か「いいえ」の答えを自分からもらうという方法です。本当の自分自身が何を言いたいのか、とことん質問をして詰めていかなくてはなりません。

たとえば、「STOP」とまで分かったら、すぐに「私はそれからどうするの?」と聞かないと、MAO(自分自身と対話する法)は終わりません。しかし、「やめなさい」といわれたのだから、やめたんだと言って、平然としている人がいます。

たとえばある場所に向かおうとしていて、街かどで突然「とまれ」といわれたら、当然立ち止まるでしょう。しかし、いつまでもそのまま立ち止まったままでいるでしょうか。日も暮れてきます。寒くもなるでしょう。雨も降ってくるかもしれません。おまわりさんに職務質問されるまで立ちつくしますか。

確かにMAO通りに立ち止まりました。そして次に、それからどうする?私はどうする?とMAOするのです。MAO通りの実践といっても、このような実況中継のようなMAOが多いのです。それからどうする?がないのです。

MAOの通りに動いて、うまくいかなかったら、うまくいかなかったそのこと自体がメッセージだということです。うまくいかなかったということだけで、もうがっくりする人がいます。肩透かしにあったということで、すぐに自信がなくなったと泣き言を言う人がいます。

うまくいかなかったことで見えてきたこと、分かったことがあるでしょう。それがメッセージなのです。あなたの本当のこころが、あなたに知らせたかったことです。「方便」という手段を使っても、動かすことがあります。動かさないと分からないことも多いからです。ですから、MAOは実践しなくては意味がないのです。

うまくいかなくて、ありがとうございます。うまくいかないことで、気付かせていただきました、という心境に達して、MAOは上達するのです。MAOは、実に奥が深いのです。